PRECIOUS CARGO: EPISODE 1

アポロ11号 - 月へのミッション

そしてゼロハリバートンの「月を持ち帰る」というミッション

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1969年7月

世界は、人類史上初の特別な瞬間を目撃しました。

ゼロハリバートンでは、アポロ11号の偉業から50周年を記念して、アポロ11号の月での使命と成果、またサポートした我々の役回りについて、特集「プレシャスカーゴ」を5回のエピソードに分けて、配信します。

ZERO HALLIBURTON

高性能ケースという評判

1938年、実業家のアール・ハリバートンは、過酷な環境に対応したトラベルケースを必要とし開発しました。アメリカ製トラベルケースとして代表的な存在、ゼロハリバートンケースの誕生でした。航空機級のアルミを使用したケースは、彼が働く過酷な中西部の油田に適していました。1960年代、ゼロハリバートンケースは、洗練されたデザインと機能性で高い評価を得るようになっていました。そこから更に気密性、防湿性、防塵性を高めるために改良を重ね、信頼できるケースを提供してきました。

NASAがアポロプログラムを評価していた際、月の石を運ぶという大役を任せるケースの選定というのは重要な項目であり、NASAにとって、高性能ケースと言う評判を持つゼロハリバートンは適任でした。

アポロ11号の使命

人類史上未だかつてない旅行

1961年5月25日、ケネディー大統領は国民に向けて、人間を月に着陸させ安全に地球に帰還させる、という歴史的発表をしました。
表面上は息を飲むような、人類としての挑戦を語った内容でしたが、実際のところは技術力で先行し数々の成功を収めていたソ連の宇宙開発を挫く意味合いの方が強かったのです。どちらにしても、その挑戦をアメリカ国民は受け入れました。そして、1969年7月、技術的な問題、遅延、悲劇などを乗り越え、NASAは月面着陸ミッションを計画し成功させたのです。

歴史上最も重要な積み荷を運ぶケースの製作

アポロ11号ミッションは、「人間を月に着陸させ、安全に地球に帰還させる」と米国大統領に定義されましたが、NASAは、追加でもう一つの重要で野心的なミッションも付け加えていました。それは、惑星のサンプルを初めて地球に持ち帰ると言うものでした。

"ヒューストン。こちら静かの基地。"

月面着陸について3つの事実

1. 乗組員は月面着陸を諦めようとしていた

月面に下降していく時、アームストロング船長とオルドリン飛行士は、着陸地点として決めていた場所が、大きな岩で埋め尽くされていたため、着陸をするには危険すぎると判断しました。アームストロングは、月着陸船をマニュアル操縦に変更し、月面の調査を始め、着陸可能な別の場所を見つけました。その時、燃料切れまで30秒、搭載されたコンピューターからアラーム音が響きます。着陸断念と言う決断が刻一刻と迫っていました。そんな中、アームストロングは、その適した場所へと月着陸船を操縦し着陸させたのです。

2. あの「小さな一歩」は、実際にはとっても大きな一歩だった

アームストロングは、月着陸船イーグルをとてもゆっくりと着陸させたため、衝撃吸収機能が働かず、イーグルの梯子から月面までオルドリンも共に1Mも下に飛び降りる事になってしまいました。

3. 何人かの科学者は、宇宙飛行士が月面から沈んで消えてしまうのではないかと思っていた

アポロとサーベイヤー(月着陸探査機)プログラムを実行する前から少数の科学者は、月面を覆うとても厚い土と砂の層に宇宙飛行士と月着陸船が沈んで消えてしまう、と信じていました。もちろん大多数の科学者は土と砂の層は薄く、そう言うことにはならないと思っていたそうです。実際には土と砂の層は厚かったのですが、密度がそれほど低くなく、宇宙飛行士と月着陸船を問題なく支えることが出来ました。

エピソード2の予告:なぜトラベルケースの開発に高度な知識が必要なのか

エピソード2では、アポロ11号の使命を掘り下げて見ていきます。宇宙旅行に耐え得るように、どのようにして月のサンプルケースを設計したのか、また現在のゼロハリバートンケースにどのように活かされているのか、なども説明していきます。

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Episode 2 of 5

なぜトラベルケースの開発に高度な知識が必要なのか

写真提供: NASA - ご厚意により許可転載

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